妖怪について私的な意見が多く含まれているため、諸説あることを念頭にお読みください。
無いにもあるにもそんなことはもう問題でない。我々はオバケはどうでもいるものと思った人が、昔は大いにあり、今でも少しはある理由が、判らないので困っているだけである。
柳田國男『新訂 妖怪談義』小松和彦校注、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2017 年、17 頁。
妖怪と現代人の関係はこの柳田國男の言葉にあると思います。昔は妖怪が身近にいて信じる人も多かったけれど、現代は少しの人が信じている。その少しの人が信じているのがわからないと言うのは今でも変わらないようです。
妖怪と現代人
子どもの頃、お盆になると父方の実家へ帰省していました。古い木造の家で天井を見ると、あちこちが黒ずんでいました。
それがふしぎでじっと見つめていると、決まって祖母が話を始めます。「テンジョウナメがなめた跡だよ」と言い、その妖怪の話を語り始めるのでした。
私はその話が怖いと感じるとともにおもしろいとも感じていました。ある年の夏、祖父母が水木しげる先生の妖怪図鑑をプレゼントしてくれました。
そこには見たこともない聞いたこともない世界が広がっていました。そこで水木しげる先生の「妖怪」の世界観に引き込まれていったのでした。
それから幾年、今再び妖怪がスターダムにのしあがりました。それも映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」(2023年11月17日)の公開です。
観客動員数147万人で興行収入20億円越えの日本アカデミー賞映画となりました。人はなぜ妖怪に興味を持つのでしょうか。それについて考えてみました。
妖怪?との出会い
水木しげるの場合
先に述べた水木しげるは幼い頃のんのん婆から聞いた話で妖怪に興味を持ちました。また水木しげるは第二次世界大戦の時に妖怪に出会っています。それは戦争末期のことでした。
水木しげるは敗戦濃厚の南方へ配属されました。敵兵から逃げているとき、密林の中で突然前に進むことができなくなったそうです。
まるで見えない壁がそこにあるかのようだったそうです。仕方がないのでしばらく休むと再び前へ行くことができるようになったそうです。
水木先生は過去を振り返って「あれはぬりかべだったのではないか」と述べていました。
柳田國男の研究
日本の民間伝承や風習、妖怪などを研究し、日本民俗学の基礎を築いた柳田國男は、文化人類学や比較神話学の観点から妖怪も研究し「遠野物語」などの著作を発表しています。
その柳田國男の『妖怪談義』の中でもぬりかべについて記述があります。
筑前遠賀郡の海岸でいう。夜路を歩いていると急に行く先が壁になり、どこへも行けぬことがある。それを塗り壁といって怖れられている。棒をもって下を払うと消えるが、上の方を敲いてもどうもならぬという。
柳田國男『新訂 妖怪談義』KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2017年。
やはり、ぬりかべという存在はいたのかもしれません。ところが現代ではあまりそういった話は聞きません。やはり塗り壁には徒歩でしか会えないのかもしれません。
塗り壁ひとつをとっても妖怪とはよくわからない存在です。妖怪とはどこか捉えどころのない存在なのかも知れません。
妖怪の定義
私は水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」が大好きです。ゲゲゲの鬼太郎の絵本でひらがなを覚えました。特にアニメ第三作目の鬼太郎は人生に多大なる影響を与えられました。
1980年代の夢子ちゃんが出てくるシーズンです。ダークな墓場の鬼太郎も好きでしたが、この1980年の鬼太郎は私にとってのヒーローでした。
さて、そんなゲゲゲの鬼太郎ですが必ず妖怪という存在が関わってきます。協力的な妖怪であったり、敵対する妖怪であったり、改心する妖怪までいます。
そしてその妖怪全てが人類科学ではわからない超常の力を有しています。戦後の研究者の中には「妖怪は信仰を失った神々である」とも言う人もいます。
神々ならば確かに超常の力を持っていたとしてもふしぎではありません。
私は自然や人々の生活に不可解な影響を及ぼすとされる超自然的な存在と定義したいと思います。
どのように妖怪は作られたか
確かに妖怪は悪さばかりをするものたちばかりではありません。きちんと敬えば恩恵を与えてくれる妖怪も相当数います。彼らは日本の主だった宗教である神道や仏教において神仏として祀られていることも少なくないです。
日本の神道はとても原始的なところがあります。そんなことを言っては神道学者に怒られてしまいそうですが、原始宗教であることには変わりません。
そんな原始宗教にもさらに土地神、つまり産土神がいました。主にその土地の守護神や個人が生まれた土地の神として信仰されています。
古代日本においては地域の生活や自然に密接に関わる神々が村落ごとに信仰されてきた経緯もあります。
その産土神が妖怪になった原因は諸説あります。そのうちの数例を見ていきたいと思います。
宗教の輸入による信仰の変化
六世紀に海外から輸入された新しい信仰(特に仏教)が国策として広められました。一部の産土神は神仏習合により融合されていきました。
中でも産土神が仏教の守護者である権現として再解釈されたり、仏や菩薩に役割を吸収された例もあります。
しかし、その一方で仏教が支配的になるにつれて、産土神がその地位を失うこともありました。信仰が薄れた地域もありました。
この変化により、一部の産土神は妖怪として語り継がれて行くことになったのかもしれません。
国策として仏教を広めたことが主な原因で一部の産土の神々は信仰を失い妖怪になったようです。
人間社会の変容
妖怪と呼ばれる存在は古くからいる存在です。しかし時代が進むにつれて、生活や価値観が変わり、土着の神々の影響力が人々の文化に影響を与えづらくなりました。
その結果、その土着の神々は崇拝されなくなり、迷信として軽んじられるようにもなりました。結果として、それらの神々は妖怪として認識されるようになったのではないでしょうか。
土着の神々の負の側面の過度な強調
土着の神々は、ほとんどの場合、善悪両面の力を持っていました。災害や不幸が起こると神の怒りと結びつけられました。
度重なる災害や疫病が人々の生活を苦しめ続けると、その神様の神格が疑われるようになります。人々はそのような神々に対して「悪い存在」として捉えるようになっていくことでしょう。
こうなってしまうと元々守護神であったり自然神であった存在が、災厄をもたらす悪い妖怪として神格を失う場合があります。
・新しい宗教の伝来による産土神の認識の変化
・時代の流れによる土着の神々に対する信仰の変化
・土着の神々の負の側面が強すぎるが故に悪い存在に変化
このようなことが妖怪が生まれた背景にあるのではないでしょうか。
妖と怪
妖怪と一言でまとめていますが、妖怪は複合語です。本来は「妖(あやかし)」と「怪(かい・け)」に別れているものでした。
平安時代や奈良時代にはこの二つを区別して認識していたようです。しかし、江戸時代になるとこの二つの概念が「妖怪」として統合されていったようです。
では何が妖で何が怪なのでしょうか。そこにどんな違いがあったのかについて考えてみます。
妖(あやかし)について
妖は「妖しい」という言葉が元になった「よくわからないもの」が名前の由来です。ふしぎなもの、普通では考えられないものを指しています。
目に見えない人間の住む世界とは異なる世界からのものにあてはめられた概念でした。説明のつかない出来事、信仰の対象にもなりえる神秘の存在といったものも「妖」に含まれます。
平安時代や奈良時代の人は風や雷にも「妖」という存在を感じていました。「妖」は抽象的なものでした。捉えどころのない、姿形のないものに対して使われることが多かったようです。それ故、畏れや敬いの対象にさえなっていたようです。
後々妖狐などに代表されるよう「妖」という概念は、より具体的なものへとなります。人間や動物の姿をとるなど抽象的なものではなく、神秘的な存在へと変容していきます。
怪(かい・け)
怪はというと、常識の通用しないふしぎな物や現象について使われます。妖と違う点は最初から具体的なものに対して使われていたようです。例えば幽霊や百鬼夜行、怪物などがそれにあたります。
しかし、妖を抽象的なもの怪を具体的なものと分断できるような存在でもありません。
例えば怪の解釈を広げた怪異などはそれにあたります。怪異とは異常な現象や出来事を指す抽象的なものでした。ふしぎな現象全般を怪異と呼ぶこともあります。
現象というところだけをとると、妖も怪も同じもののように感じられます。「妖」は「怪」よりも畏怖や信仰を感じられるような記述が散見されるのも事実です。結果、妖怪は一括りではなく妖と怪に感覚的に分かれていたのかもしれません。
妖怪ブーム
妖怪という概念は江戸時代頃に確立していったようです。今ある妖怪のイメージに多大な貢献を残した鳥山石燕などが活躍した時代です。
鳥山石燕は妖怪の絵を描き妖怪絵巻を作ったことで有名です。このおかげで庶民の間でも妖怪文化が発達したのではないでしょうか。
現代でもAmazonで検索すれば、鳥山石燕『図画百鬼夜行全画集』など簡単に手に入れることができます。
知識階級の人たちもこぞって「妖」と「怪」について研究をしました。その結果、ひとつの文化としての妖怪が確立して行きました。
妖のもつ神秘的な側面と怪のもつ奇妙な現象を合わせて妖怪となったようです。妖と怪が正式に結合したのはどうやら江戸時代のようですね。
文明開花と妖怪
江戸時代も終わり明治時代になると妖怪はどうなったでしょう。開国により妖怪は西洋的な視点、つまり科学的な視点から研究されるようになりました。
科学によりその妖怪が自然現象と解釈され、妖怪の数が減っていきました。同時に妖怪は西洋人にとって日本の文化的な価値も見出されてきました。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)や柳田國男も妖怪研究では有名です。ラフカディオ・ハーンの著書『Kwaidan』に面白い擬音語があります。
英語では下駄の音を表現できなかったので”karakoro”と表現していました。怪のもつ奇怪さの雰囲気を重視した結果だと思います。
柳田國男先生の『遠野物語』の影響は絶大的でした。柳田國男や佐々木喜善によって地方の妖怪たちも知名度を得ました。
ますます庶民の間で妖怪という言葉が一般的に使われるようになったようです。
開港により科学が流入することで非科学的な妖怪は駆逐されるのかと思いきや、研究対象として再認識されるようになっていったのですからおもしろいです。
現代日本人と妖怪
令和の世になっても人間は妖怪を求めています。2020年ごろから全世界的に蔓延した新型コロナウィルスは記憶に新しいと思います。その渦中、日本人が疫病退散として信仰した妖怪が「アマビエ」でした。
アマビエは元々一度しか目撃されていません。肥後国、今は熊本県の海で目撃されたのが最初で最後です。その際、このような予言を役人に伝えました。
「この先、6年間は豊作が続くが、その後、疫病が流行する。私の姿を描いて人々に見せれば、疫病を免れることができる」。役人は素早くその似姿を描き写したといいます。
その予言から新型コロナウィルス蔓延の最中、アマビエの絵図だけではなく様々なグッズが発売されました。私も買い漁りましたが、南部鉄器のアマビエが宝物になっています。
未来の豊作や疫病の予言を行なった妖怪にアマビコという存在も大きいです。アマビコは江戸時代から明治時代の間に複数回目撃されています。ご利益を受ける方法もアマビエと同じというところも興味深いです。
このように100年以上前に目撃された妖怪の言葉を信じたり、アイドル化してしまうほど、日本では怪異が当然のように受け入れられています。現代日本人にとっても妖怪は身近な存在であり続けているようです。
サブカルチャーとしての妖怪
現代の妖怪はアニメ、漫画、映画などで活躍しています。中には新しい妖怪もいますが、古い妖怪もキャラクターとして描かれており、伝統的な様式とは異なる場合もあります。
特に有名なのが『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズではないでしょうか。他にも『夏目友人帳』や『ぬらりひょんの孫』、『犬夜叉』など数を数えるとキリがありません。ファッションやデザインも合わせると数百のシリーズがメディアに扱われているのではないでしょうか。
妖怪は、伝統的な民間信仰から現代のサブカルチャーにまで進化し、アニメ、マンガ、映画、ゲーム、ファッションなどさまざまな分野で表現されています。これにより、妖怪は日本文化を代表する存在として広く認識され、多くの人に愛されているのではないでしょうか。
まとめ
「見よう」とすると見えない「知ろう」とするとわからない。それが妖怪です。
妖怪には深い歴史があります。少なく見積もっても1200年以上の歴史の積み重ねが妖怪にあります。歴史はある種の権威を持たせます。
また地域の伝承や祭りなどにも深く根ざしている妖怪もいます。それ故地域のアイデンティティにまでなっているものさえあります。例えば秋田のナマハゲ文化などはその典型だと思います。
次にメディアの影響も大きいと思います。「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめ「妖怪ウォッチ」、「夏目友人帳」も怪異を取り扱ったアニメや漫画です。
古い伝承の中の存在がメディアで取り上げられることにより、現代において新しい価値を付与されています。妖怪が年々アップデートされたり造られたりしています。
妖怪は日常や一般常識ではかることできないふしぎなものや未知なるものです。人間には根源的に見えないものへの畏怖があります。
一方で未知なるものを既知に変えたいという心理的欲求があります。妖怪という存在はその心理的欲求を満たしてくれる格好の存在なのではないでしょうか。
未知なるものへの畏怖や憧れ、それを知りたいという欲求、これが妖怪が人間の興味を1000年以上も惹きつけている理由なのではないでしょうか。
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