酒呑童子
酒呑童子は、平安時代、大江山を根城に茨木童子など様々な家来と共に悪逆非道の限りを尽くした鬼です。おそらく知らない人はいないのではないかという鬼だと思います。中でも女性を主食にしており、肉を食べ血を飲むことを好むという描写は閉口ものです。
今回はそんな凶悪な鬼について調べてみました。 In English.
酒呑童子の討伐
酒呑童子等は京都の大江山に居を構え、人をさらっては食う、特に女性を常食としていました。その悪逆非道な行いは朝廷の怒りに触れ、討伐命令が下されました。
討伐の命令が降った侍衆は源頼光とその家来の四天王でした。頼光を含めた五人は山伏に変装して酒呑童子の館に一晩泊めて欲しいと願い出た。酒呑童子は先んじて討伐隊が組まれたことを知っていたので警戒して様々なことを詰問します。
酒呑童子は酒好き
山伏たちの方から酒をよこされたため、酒呑童子はそれを飲みました。酔いで気が緩み、身の上話などをし始めたそうです。そして鬼たちがさらってきた女性の血肉を源頼光たちに提供しました。源頼光たちが共に飲食したことから、源頼光らにすっかり気を許してしまいました。そこで源頼光らは八幡大菩薩から賜った「神変奇特酒」を飲ませました。その毒酒のせいか酒呑童子は体が動かなくなります。
頼光らは背負子に隠しておいた武具を身につけ、山伏に変装した武士全員で体を押さえつけ、刀で首を切り落としました。この時の刀は現存しており、「童子切」として国立博物館に国宝として収められています。酒呑童子は首を切られても、その頭で頼光の兜に噛み付いたというのですから凄まじいです。
源頼光とその四天王は実在しているため、酒呑童子も存在していたのでしょう。もしかしたら妖怪としての鬼ではなく、強盗団だったのかもしれません。しかし、有力貴族に鬼と認定されれば人間も鬼になるのかもしれません。
物語の中の酒呑童子
他の物語にも酒呑童子は登場します。伊勢物語にも女を一口で食べてしまう描写があります。京の町から女性をさらっては常食としていたというのだから恐ろしい。
伝説によれば、彼は首を切られた後も生命力を失わず、途中で「首から上の病気や怪我は治す」と宣言したといわれています。このため、埋葬された頭は特別な力があると尊ばれ、首塚大明神として祀られるようになりました。
酒呑童子の出自
京都から新潟にかけて酒呑童子の出自が伝えられています。中でも特筆すべき点は「最初から鬼ではなく人間の子ども」として生まれたことでしょう。
酒呑童子は美男子で女性たちから多くの恋文をもらっていました。しかしそれらの気持ちに応えることなく文を箱にしまいこみました。後になって箱を開けてみると、恋文のもつ想念が煙となりました。その煙は酒呑童子を包み込み、鬼にしてしまった。そんな説まであります。
母親のお腹の中に長くいたことも特徴的です。話によっては3年もの長さにわたり母親のお腹の中にいたという話もあります。歯や髪が生えそろっていたという逸話もあります。当時は歯の生えた赤子のことを「鬼っ子」と呼んでいたことも注目に値します。
人間の想念から鬼に変化するという点においては、源氏物語の六条御息所に通づるところがあるのではないでしょうか。
現代的な観点としては、天然痘説やドイツ人シュタイン・ドッチ氏説などあります。このサイトではあくまでも妖怪として捉えていきたいので割愛させてただきます。
まとめ
酒呑童子の特異性は初めから鬼ではなく、人間として生まれた後に鬼になったことが挙げられます。鬼には目に見えない自然現象や霊的な現象と見ることのできる鬼がいます。酒呑童子は間違いなく見ることのできる鬼の方でした。
また、国宝の刀である「童子切」が国宝として国立博物館に所蔵されていることから、何か凶悪な存在がいたこともわかります。
一方で首を切られた後も源頼光の兜に噛み付くほど恐ろしい生命力を有しています。首を京へ持って帰る途中、改心して「首から上の病気や怪我は治す」と言ったという伝説もあります。それが首塚大明神として祀られることになったのでしょう。
悪にせよ善にせよ、強大な力を持つ何物かは信仰の対象になるようです。
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