茨木童子

茨木童子 Ibaraki-Dohji
茨木童子 Ibaraki-Dohji

茨木童子とは

茨木童子は酒呑童子の右腕として暴れていました。源頼光らの酒呑童子討伐隊に酒呑童子が殺された際、茨木童子は逃げおおせたという説もあります。なんでも酒呑童子の首が切り落とされるのを見て、これは勝つことはできないと渡辺綱との戦いを切り上げて逃げたそうです。

その説が有力なことに、酒呑童子の死後、一条戻橋もしくは羅生門で渡辺綱と茨木童子が戦っていることが伝承として語り継がれていることがあります。 In English.

茨木童子の出自

茨木童子と酒呑童子の間には奇妙な共通点があります。どれも確定している事実ではなく、諸説あるためなんとも言えませんが二人ともこのような特徴があったようです

  • 母親のお腹の中に16ヶ月以上いた
  • 生まれてきた時には歯や髪が生えていた
  • 美男子で恋文を山ほどもらっていた
  • その恋文がもとで鬼になった

ざっくりと言うとこのような共通点があったようです。このように鬼である二人にはかなり具体的な出自の話が残っています。

彼が鬼になった顛末

茨木童子はどうやら美男子だったようです。日々届けられる恋文に危機感を覚えた母親が文を箱にしまい込んでしまいます。ある日、彼がその箱を見つけ開けてみると中には血濡れの文があった。彼は指についた血を舐めた途端、鬼になってしまったという。

別の話では茨木童子の怪力に手を焼いた親が、髪結床屋の前へ茨木童子を捨てたことから始まります。手に職をつけるため、茨木童子は床屋の手伝いをしていました。ある日、手が滑り客の頬を傷つけてしまいました。茨木童子はその血を指でぬぐい、それを舐めてしまったのです。それ以降、茨木童子はわざとカミソリで客の頬を傷つけては血を舐める行為を繰り返しました。流石に店主に怒られ、川へと赴いたところ、川面には鬼の姿が映っていたといいます。

どちらの説も「血を舐めた」ことが鬼になった原因だったのだろうと推測できます。様々な説はありますが、一説には同郷だったこともあり、茨木童子は京都へ逃げてきた酒呑童子の傘下に入り、その右腕となったようです。

大江山から逃げてきた後の茨木童子

大江山の鬼たちの唯一の生き残り茨木童子ですが酒呑童子ほど悪逆の限りを尽くすことはできませんでした。それは源頼光の四天王の一人、渡辺綱がいたからです。

茨木童子 Ibaraki-Dohji
茨木童子 Ibaraki-Dohji

茨木童子と渡辺綱

二人の話は色々あります。しかし、話の大筋は同じで鬼と綱が再会し、鬼は腕を切られ、またその腕を取り返して空へ逃げ去る、と言うものです。

一条戻橋で若い女性が道に迷っているところを渡辺綱が見かける。渡辺綱が女性を馬に乗せてやると、女性は鬼に豹変した。鬼は彼の髪を掴んで愛宕山へ連れ去ろうとしたところ、渡辺綱の名刀髭切で鬼の腕を切り落とした。

切り落とした腕を源頼光に見せたところ、陰陽師にも見せた方が良いと助言をもらった。陰陽師にも見せると、「必ず鬼が腕を取り返しにやって来るから、七日の間家に閉じこもり物忌みをし、その間は誰も家の中に入れないよう」と助言をもらう。

それから数日間、この鬼はあの手この手で渡辺綱の屋敷に入ろうと試みますが、うまくいきません。年老いた叔母に変化したときも入れさせてもらえませんでした。年老いた叔母の嘆き悲しむ姿には負けてしまい、渡辺綱は屋敷にいれてしまいます。

叔母は綱が切り落とした鬼の手が見たい、と渡辺綱に言った。彼は腕を叔母に取らせて見せてあげた。すると突然叔母は鬼の姿になった。そして腕を持ったまま鬼は空高く飛び上がり飛んでいったという。

ちなみにその後の茨木童子の動向については詳しく書かれたものや話はない。

まとめ

茨木童子は酒呑童子同様元は人間だった鬼だったようです。ちなみに渡辺綱が茨木童子を切った際、所持していた名刀髭切は鬼切と改名されました。現在の鬼切は北野天満宮の宝物殿に重要文化財として奉納されています。このことから目にみえる鬼として茨木童子は存在していたと思われます。しかし渡辺綱とこの鬼の因縁は強いものが感じられます。二人は出会うべくして出会ったのかもしれませんね。

元は人間でも悪事を重ねれば悪鬼となるのかもしれません。

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