河童についてはもっと早くに触れるべきでした。しかし河童と一言で言っても私が知っているだけでも29種類ほどいます。もちろん中には近縁の種類もたくさんいて、それぞれが日本の地方によって呼び方が異なるものがほとんどです。しかし、同じ河童の種類の中でも一風変わったものもいたり、全てが同じ種類の異なる呼び方とは言えません。
そんな河童について考えてみました。 In English.
日本人の河童に対する認識
日本人に「河童の特徴と言ったら?」と聞けば必ずといっていいほど次のような特徴を答えると思います。
- 頭に水の入った皿がある
- 肌が緑色
- 背中に甲羅がある
- きゅうりが大好き
子どもから老人まで日本人の共通認識としてそのようなイメージがあります。中には人間の隣人で親しみを持てる妖怪だと思っているかもしれません。証拠としては柳田國男で有名な『遠野物語』があります。『遠野物語』では河童は恐ろしい存在です。しかし岩手県遠野地方にある河童淵があり、そこは観光名所となっています。
河童とはそれほど人間に優しい妖怪ではなかったかもしれませんが、身近な存在だったのかもしれません。
河童とはどこからやってきたのでしょう
古くは中国から渡ってきた妖怪のようです。もちろん中国では「水虎」という名前でした。他にも水鬼や蛟龍といった名前で呼ばれていることもあるようです。ただし、その行動は一貫して人間に害をなす恐ろしい存在でした。
「水虎とはどんな妖怪なのか想像してください」と言われて想像力を働かせる人はなかなかいないと思います。しかし、その性質は日本の河童とほぼ同じであることには驚かされます。その行動とは次のとおりです。
- 水中に住み人々を襲う生き物
- 水中から飛び出し、馬や牛を水中へ引き込む
水虎は他の妖怪と同様自然現象が具現化した存在だったようです。中国では水虎はしばしば水害や溺死などの原因と見なされてきました。水中の自然災害に対する恐れや畏れが反映された妖怪です。
水虎と河童
河童も水中に住み人間や家畜を水中へ引き込む特徴があります。前述の水虎は河童の元となった存在の一つかもしれません。水虎はより危険で恐ろしい存在として描かれることが多いです。しかし河童は日本独自の発展を遂げ、時には親しみやすい反面や人間と交流する姿も描かれています。
このような逸話も残っています。
一人相撲
昔、筑前姪浜(現・福岡県福岡市)に力自慢の久三という男がいた。ある夜中、用事で河原を通ったとき、河童が現れ相撲を取ろうとしつこく言う。
「夜中に相撲など取れるか」
久三がそういうと、河童は久三の家まで押しかけてきて散々騒ぐ。そこで夜明けまで待って相撲を取ることにした。さて、久山が河原に行ってみるとすでに五匹の河童が待っていた。そこで久三が、
「お前たち一人ずつ相手になってやろう」
というと、河童たちは川から上がっては交互に挑みかかってくる。久三は力自慢だったが、相手は体がヌルヌルで、生臭さが強いので、苦戦を強いられた。しかし河童の股に手を差し入れて、逆さに投げ倒すと、わけなく勝つことができた。勝ち目のないことを悟った河童たちは、ようやく退散していったという。
このとき、近くの人々が大勢集まって、この相撲を見物していたが、不思議なことに河童の姿はどこにも見えない。ただ久三だけが一人で相撲を取っているようで、時々何者かが水に飛び込む音とその水が揺れ動くのが見えるだけだったという。
水木しげる「決定版 日本妖怪大全」株式会社 講談社, 2014, 2月, 604ページ
それらの妖怪は他人には見えない
この話の中には興味深い点が2点ある。一つは久三が無意識のうちにこの怪異への必勝法を編み出したことにあります。この「股に手を差し入れて逆さに投げ倒す」というものです。多くの河童は頭の皿に水を蓄えています。この皿の水がなくなると途端に無力なるといわれています。久三は無意識のうちに必勝法を編み出していたのですね。
もう一つの興味深い点は、久三がそれらと相撲を取っているにもかかわらず、集まってきた大勢の人の目にはそれらの妖怪が見えなかったという点です。しかし何者かが水に飛び込んだりする音や、水面が揺れたりするなど超常現象を体験していることです。
このように目に見えない存在でありながら確かにそこに存在しているという点が河童が妖怪たる所以だと思います。
水虎が死や水害に直結している反面、河童は人間と相撲を取ったりきゅうりが好きであったり、秘伝の薬をくれたりする存在です。もちろん人間や家畜を襲う恐ろしい存在でもあります。しかし、どこかおかしみのある存在でもあります。
生息域
国際日本文化研究所センターの研究によると北は秋田県、南は鹿児島県で存在が確認されていることがわかります。中には北海道にもいたという説もあります。要は日本全国に河童がいたことになるようです。
河童や水虎、蛟龍といったいわゆる「河童」という存在は日本全国にわたる川、湖、沼などの水辺に住んでいたようです。河童は特に水と強く結びついた存在であり、目撃例も水辺が圧倒的に多いです。
岩手県
例えば岩手県では遠野市に「伝承園」というオシラサマが千体展示されている観光名所があります。その中に河童に関する展示があるようです。そこで河童淵の話があり、河童は川辺に住み、泳いでいる人を引きずり込もうとする話が伝わっています。実際に訪れたことが無いため違うことがありましたら謝罪します。
関東地方
関東地方においては首都の東京にある玉川上水などの地域にも河童の伝承が残っています。特に小平市では「小平の河童」伝説が有名です。江戸時代によく出没したようです。
神奈川県では相模川で川遊びをしていると河童に水中へ引き込まれていたようです。
近畿地方
近畿地方では京都の鴨川が有名です。「河童が泳いでいた」「川遊びで河童に水中に引きずり込まれた」という話が残っています。
兵庫県の明石市では特殊で川沿いに住んでいた河童が人間と共存していたという話もあります。
九州地方
福岡県の筑後川は特に河童の伝承が豊富な場所で「久留米の河童」として多くの話が語り伝えられています。筑後川周辺の村々では、河童を鎮めるための祭りや儀式も行われていたようです。
熊本県または福岡県の九千坊河童は有名です。一族が九千匹いる西日本最大の河童の勢力です。彼らは武勇で知られる加藤清正に退治されて以来福岡県久留米市の安徳天皇を祭神とする水天宮を守護することになりました。
福岡県の筑後川の支流である巨瀬川では平清盛が巨瀬入道という河童になったという話があります。1675年に書かれた『北筑雑藁きたちくざっこう』に記されていることは興味深いです。
熊本県では須磨川に河童の話があり、河童と人間が戦った伝承や河童に食べ物をやるといった習慣があったようです。
住処の特徴
以上の目撃例や習慣などから、河童は水の妖怪であり、川に人間を引き込むことから川や沼が生息水域のようです。また人間が川遊びをしているときに襲われることから、ある程度清潔感のある川であることも想像できます。
川の事故のことを考えると、川の流れは早かったのでは無いかと推測します。
なぜ河童が水辺に現れるのでしょうか
現代の観点から立ち河童という存在を見つめた時、次のような説が挙げられるのではないでしょうか。
- 水害: 日本は水の豊富な国です。それ故に洪水や鉄砲水のような予期せぬ水の事故が常に隣り合わせでした。日本全国に散らばる河童の伝承は人々に「川に近づきすぎると危険」という警告なのかもしれません。
- 守護神: 河童は単なる恐ろしい妖怪という側面だけではなく、水を司どる神聖な存在として崇拝される地域もあります。それは水不足や水害から人々を守ってもらうためです。具体的な例としては久留米市の水天宮があります。また河童大明神の祭りが行われています。
水害への恐れや水害から守護してもらうための存在として河童は機能していたのかもしれません。特に大明神は強力な神々につけられる名前です。河童大明神と言われるていることから久留米の人々にとっては重要な役割があったのでしょう。
柳田國男の『遠野物語』に出てくる河童
岩手県の遠野地方に残されていた妖怪や神、習慣をまとめた『遠野物語』はとても興味深いものです。この本は佐々木鏡石(本名:喜善)の功績が大きいです。民俗学の開拓者である柳田國男がまとめた本ですが、鏡石の父である万作の語りから遠野地方に伝わる話を柳田國男に語り編纂した本です。
話がそれますが、土地名などにアイヌ語が残っているという記述も多く見られるため、興味深いです。例えば遠野の「トー」という単語はアイヌ語で「湖」を指すようです。
遠野の河童の特徴
その話の中に河童の話が5話ばかり収録されています。要点をまとめると次のような話です。
- 河童の子を産む女性たちの話
- 河童の足跡は9cmくらいで人間の手のように親指が離れていた
- 馬を川に引きずりこむ河童に反撃をし、2度と馬に悪戯しなよう約束をすた
- 他の河童は顔が緑だが、遠野の河童の顔は赤い
河童の顔が赤いと明言されているのは、私の知る限り、『遠野物語』の鏡石の話だけです。それだけでも興味深いことだと思います。
遠野物語の意義
遠野物語の序文に次のような言葉が書かれています。
此書を外国にある人々に呈す
柳田國男「遠野物語」新潮文庫,1992年,5月,41-44ページ
柳田國男はこの遠野物語を海外に住む知り合いや友人、留学生に向けて発行したとされています。日本はまだ未知に溢れていることを伝えたかったのかもしれません。119の話が記されているが、鏡石曰くに数百の物語が遠野にはあるという。
私が拙い英語で妖怪のことを海外へ発信しようとしていることもこの考えにあります。ただ、相手が友人ではなく、まだ見ぬ世界の友人に対してというところが違うのですが。
柳田國男の自費出版で数百冊しか出回らなかった『遠野物語』ですが、後の民俗学においてその功績は多大なものとなりました。
私個人としては遠野の河童の顔は赤かったという一文が記憶に焼き付いて頭から離れません。
まとめ
河童は数え切れないほどの種類がいます。そのためただ河童と紹介することは不可能です。これからは河童を一つの分野として、知っている河童類に言及していきたいと思います。
およそ河童と呼べる妖怪は次のような特徴を持っているようです。
- 頭に皿がある
- 水辺に住んでいる
- 馬や人間を川に引きずり込もうとする
- 相撲を取るのが好き
- 体の色は緑か赤
- 人語を理解する
これらの特徴を持った妖怪を河童として定義したいと思います。また目録の中にもまとめていきたいと思います。
全く関係はないのですが、個人的には水木しげるの映画「カッパの三平」が好きです。
おきなさび 飛ばず鳴かざるを ちかたの森の ふくろふ 笑ふらんかも(柳田國男「遠野物語」)
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