九尾の狐は別名白面金毛九尾の狐や金毛九尾の狐、九尾狐とも呼ばれます。インドから中国そして日本へと渡って来た大妖怪です。元来9という数字は風水で完全であり、幸運や繁栄を表します。また九尾の狐は瑞獣として扱われる場合もあります。しかし、それ以上に恐ろしい印象があるのも事実です。 In English.
九尾の狐のルーツ
九尾の狐の生まれについて、水木しげるはこのように述べています。
大昔、この世が混沌として泥海のようになっていた時代に、そこから立ちのぼる陰気が籠って妖狐となった。それが年を経て不死身となり、全身が金毛に覆われ、長い尾が九つに裂けた。これを金毛九尾の狐という。
水木しげる『日本妖怪大全』講談社、2018年
世界開闢の頃から存在していたというのだから恐ろしいものです。
書物における九尾の狐
九尾の狐は紀元前4世紀〜紀元前3世紀ごろに書かれた『山海経』に原形があります。『山海経』は古代中国の神話や伝説、地理に関する文献です。
『山海経』には直接的に九つの尾を持つ狐に関して述べられた箇所はありません。ただ「尾の多い狐」や「尾が多い動物」として触れられています。
『山海経』では狐は神秘的で強力な動物として言及されている箇所があります。おそらく狐の賢さから他の動物とは異なるように見えたのでしょう。神々と関わりのある動物とみなされているのでしょう。
また『山海経』では尾の多い動物について触れられている箇所もあります。これも九尾の狐に関連づけられる印象があるのでしょう。
ただ、九尾の狐は西から来たという説があります。古代中国にとって西とはインドを指します。仏教の伝来とともに九尾の狐の話がインドから古代中国へ伝わったのかもしれません。またその流れで古代中国から日本へ伝わってきたのかもしれません。
妲己としての九尾の狐(殷王朝)
古代中国に殷王朝(Shang Dynasty)という中国最古の王朝がありました。その王朝最後の皇帝に紂王がいました。その紂王の側には妲己という正に傾国の美女があったと言います。この妲己は王の妾を食い殺して体を乗っ取っていた齢千年を越える妖狐でした。妲己はとても嗜虐性が高い人物で拷問をしては喜ぶという気質の持ち主でした。紂王は妲己に気に入られようと、新しい拷問や暴政をしきます。
妲己を語る上で絶対に外せない言葉があります。それが「酒池蟇盆(しゅちたいぼん)」です。蟇盆とは猛毒を持った生き物がいる穴のことです。蛇やサソリを入れた穴や壺の中に突き落とす刑罰です。妲己は二人の人間を戦わせ、勝者には酒に満たされた酒池に入らせ、敗者には蟇盆の刑に処すことが好きでした。敗者は蛇やサソリの毒で死にますが、勝者も酒の池に入らされても結局は溺れて死んでしまうのです。このことからでも妲己の異常な残虐性がわかることでしょう。
その他にも炭火の上に油を塗った胴の柱を橋のように渡し、その上を罪人に歩かせます。見事渡りきったら無罪放免という処刑方法を考案するなど、その残虐性に留まるところはありません。
臣民有罪無罪問わずに処刑を楽しみ暴政を敷きました。そのため人々の心は徐々に離れていきました。その後殷王朝は周の武王に滅ぼされることとなるのでした。妲己はその際九尾の狐となり、インドへ逃れたとも言われています。
華陽婦人での九尾の狐(インド)
インドでは耶竭陀(まがた)国の班足太子のそばにいた華陽婦人も同じ九尾の狐が化けたものとされています。ここでもその残虐性を発揮し千人もの人の首を切らせるなどの虐殺を働きます。
ある時、班足太子が庭で見つけた狐を弓で射ました。その後、華陽夫人は頭に傷ができて寝込んでしまいます。班足太子がに見せたところ華陽夫人は狐だということがばれてしまいます。華陽夫人は素早く北の空へと逃げて行きました。これがインドにおける九尾の狐というわけです。その後九尾の狐は再び中国へ移動したと思われます。
玉藻前としての九尾の狐(日本)
日本へ渡った経緯は遣唐使として中国へ渡っていた吉備真備の船に少女に化けて乗り込んだようです。時代はめちゃくちゃですが、日本に渡ると今度は捨子に化けます。その子をある武士が育てて、その美貌と才能から宮廷の女官として鳥羽天皇(1103-1156)に近づきました。
鳥羽上皇に仕える女官となった時には玉藻前(たまものまえ)と呼ばれていました。そしてその美貌と歌、楽器そして博識の完璧さから、鳥羽上皇の寵愛を受けました。
玉藻前を側に置くようになってから鳥羽上皇は謎の病に臥せってしまいました。また臣下の言葉も聞き入れなくなっていきます。陰陽師の阿部泰成(安倍晴明の血筋とも言われている)が玉藻前の仕業と見抜きました。正体を見破られた玉藻前は九尾の狐の姿に戻り、逃走しました。
逃げた先は下野の国(栃木県)の那須野ヶ原でした。上総介広常と三浦介義純が追い詰め、弓で矢を射かけたところ、巨大な石に化身したと言います。そしてその石は毒を放ち、近づく生きものを殺したといわれています。
九尾の狐の殺生石
巨大な石に化身した九尾の狐は辺りに毒を放ちます。後に村人からこの話を聞いた源翁和尚が経文を唱えたところ、石は砕け三つに割れて飛び散りました。その一つでここに残ったものが那須の地の殺生石と伝えられています。
その殺生石も2023年3月5日に真っ二つに割れてしまいました。これは九尾の狐が復活したのか、形を保つことも難しいほど妖力が無くなったのか謎です。
殺生石は今でも硫化水素や炭酸ガスを放ち、人や動物に危害を加えています。
まとめ
九尾の狐は風水上幸運や繁栄をもたらす神獣とされていました。現に山海経では瑞獣とされています。しかし、妲己や華陽夫人そして玉藻前という強烈な印象から九尾の狐=最も恐ろしい妖狐となっているのかもしれません。殺生石が割れた今、九尾の狐はどのように動くのでしょうか。
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